20世紀の初め、ラジオ、つまり無線技術が実用化され、通信にも利用され、その便利さが認められるようになりました。例えば、陸から離れた海上にいる船との交信は、天候の変化などで危険に陥った場合に、位置を知らせたり、状況を報告して救助を求めるのに役立ちました。無線ですから、部外者が傍聴することも可能です。しかし「救助の要請」が傍聴されるのでしたら、最も近くにいる部外者が救助するという利点もありますが、その反面、特定のグループの間で、外部に知られたくない交信も部外者が盗聴できるという不都合な可能性も生じました。そこで登場したのが『暗号』を使う方法です。
暗号の歴史は、古代ギリシャに遡ります。数学や物理の得意な方でしたら、とっくにご存知のことと思いますが、改めて基礎から復習してみましょう。
暗号には種々の『コード』がありますが、基本的には文字の入れ替えを内部だけで予め打ち合わせしておく方法です。西欧ですとアルファベットとか数字が言語の基本です。日本語の場合は、カナ文字と数字がそれに相当します。当時の無線は技術的にまだ漢字が使えませんでした。(以下、ABC でご説明いたします。)
左の図は、アルファベットの表を作り、その縦横に数字を当てがい、縦1と横1に位する文字は「A」、12=B, 21=F, といった具合です。
右の図は、第1列が基本のアルファベット、第2列は同じアルファベットですが4文字だけずらした、後述『サイファー』の原点です。
いずれの場合も、元の文章のアルファベットを『コード』文字に変更して送ります。受け取った側は、送る側の逆方法で、基本のアルファベットに戻すことで判読できるのです。これが暗号コードの初歩的な方法でした。
その他に、言葉自体を変えておく方法もあります。例えば、「真珠湾攻撃を開始」の指令が「ニイタカヤマノボレ」、その「成功」が「トラ、トラ、トラ」といった具合です。この件については省略いたします。

英文の暗号コードを部外者が盗聴して、『解読』の必要に迫られたとします。昨年のブログで、シャーロックホームズの解読に触れましたが、英文の特長は、次の第3図をご覧になれば一目瞭然ですが、頻繁に使われる文字と、滅多に使われない文字の平均的な比較です。よく使われる文字は、E,T,A,O,N,I, が上位で、余り使われない文字は、J,K,X,Q,Z, 順で下がります。先ず『コード』文で最も多く使われている文字を探し出し「E」を当てはめる作業から始めます。後は、根気と理詰めの戦いです。
1910年頃、イギリスはドイツとの国交が険悪になり、一触即発の状況でした。ドイツの潜水艦が北大西洋に出没し、盛んに本国と無線で暗号交信しているのを盗聴したイギリスは、『暗号解読』の必要に迫られ、技術者を集め、極秘裏にその本部をアドミラル・ホールに設置し本格的な活動を開始しました。(写真)
1914年8月、イギリスは沈没させたドイツの潜水艦から、コード・ブックを発見し、それ以来解読能力は急速に進歩し、同盟国のアメリカにもその技術が伝えられたのです。1918年ドイツが敗北して第一次大戦は終了しましたが、世界的な緊張は却って高まっていきました。1921年の軍縮会議で各国の軍艦保有量が提案され、日本は米英に比べて半分という割当てに不満をもち、特に軍部が反発しました。こうした事情の背景には、常に暗号による交信が、出先外交官と本国との間で交わされたことは想像に難くありません。そしてこうした交信が常に欧米各国で盗聴されていたのです。意外なことに、ポーランドで優れた暗号解読者が台頭していました。ドイツの脅威を予想していたせいかも知れません。
一方、暗号を送る側も、解読されまいという努力を怠りません。従来の文字と数字による『コード』に代わって、『サイファー』という機械に依存する方法がドイツで開発され実用化されるようになりました。これは、基本的にはタイプライターと同じメカニズムで、オペレーターは普通のタイプライターと同じ操作でタイプ文書を打ち、それが印字される前に、機械がコード文字にすり替えてしまうのです。受信する側は、同じ機械を使って全く逆のプロセスでコード文字を元のタイプ文書に復活させます。これがドイツで開発された『エニグマ』(Enigma とは、文字通り「不可解な言葉」という意味)という機械でした。文字変換部を簡単にご説明すると、円盤の周囲にアルファベットが並び、その反対側に変換用のアルファベットが並んでいます。表と裏の円盤は位置をずらすことができるので、ABC 26文字として26種の組み合わせの変化ができるという計算です。更にこの組み合わせを複雑にするために、同種の円盤を3個、5個と増やすと、組み合わせの数は2万種という驚異的な数に増加させることができるのです。こうして組み合わせを一日に3回も変更するのですから、解読する側も容易ではありません。1920年代の後半、アメリカ陸軍はウイリアム・フリードマンという数学者を暗号解読者として採用し、本格的に作戦に参加させることにしました。彼の奥さんも暗号解読の技術を身に付けていました。加えてフランク・ロウレットが参加し、強力なチームワークがとれるようになったのです。対ドイツだけでなく、日米関係も険悪になっていった頃です。日本語の暗号解読も次第に必要に迫られてきました。

当時日本の暗号は、ドイツの技術に倣った『サイファー』で、『パープル』という名の機械を使っていました。アメリカ人にとって困難だったのは、日本の暗号が陸軍、海軍(JN-25)、それに外交用と、別々に分かれていたことが一つ、カナ文字だけでも英文26文字の倍近い48文字だったことが二つ、そして、同音異語をどう解釈するかの三つが、英文にはない障碍でした。しかし1940年までにその障碍を乗り越えて、アメリカ・チームは日本語の暗号解読を果たしたのです。ワシントンで日米外交に当たっていた野村吉三郎、来栖三郎、両大使たちの本国との交信は、殆ど解読されていました。日本がいずれはアメリカを攻撃するであろうことも察知されていましたが、ただ目標だけは不明で「フィリッピンではなかろうか?」という予想が圧倒的でした。真珠湾攻撃が成功したのはその為とも言えます。
しかしその6ヶ月後、たった4分の遅れをとった為、ミッドウエーで空母4隻も失うという海戦の敗退も、1943年、山本元帥の搭乗機が襲われたことも、そして数えきれないほどの情報の面での遅れは、ただでさえ勝ち目の無い戦争を強行していた日本にとっては致命的な欠陥でした。
私は、日本がアメリカとの戦いに敗れたことを悔やんでいるのではありません。ただ一重に、この世の中に秘密がなく、暗号を送受する必要がなく、正直に、率直に、誰とでも(テロリストも含んで)対話ができるようになったら、、、と夢想しているのです。それは「甘い夢だ」などとお考えにならないでください。
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次便は『昨日の敵は』をお送りいたします。
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